しゅーまいの日常。

社会人。26歳男。理系。

シン・エヴァンゲリオンと銀河鉄道の夜

数日前、すごく楽しみにしていた

シン・エヴァンゲリオンを見てきました。

 

ちょっと、想像していた以上に自分の中で納得のいくラストになっていて

とっても満足です。

なんと言っても、アニメで解決されなかった、

独白の部分をアニメの話の中で無理なく、しかも考え方がパワーアップされて

表現されてたものだから、もう興奮してしまって、映画を見終わったあと

1時間くらい映画館の外でぼーっとしちゃいました。

 

その後にメモで思ったことをつらつらと書いたのが以下の文章になります。

個人的には、銀河鉄道の夜と、シン・エヴァのつながりが思いついたときにすごく興奮しました。興味があったらぜひ読んでみてください。

 

すごいすごいすごいすごい
本当にすごい。

 

人は、今のままの形で
心を補完出来る気がしてしまった。
少なくとも、その希望があることを示してしまったのではないか。

 

孤独
不満
幸せ
他人の幸せ
重ならない人生
思い通りにいかない世界
満たされない想い

 

誰かとずっと一緒にいたい

 

そんな想いを誰もが持った事があると思う。

 

でも、各々の志や、事情
様々な理由で別れたり一緒に過ごせなくなったり、、、
一生同じ場所で、一緒に生活できるなんて
奇跡のようなものだ。

 

これは
自分の幸せが
相手にとっての幸せとは限らず
自分の幸せと相手の幸せが一致する事は
中々に困難である事と同義と思う。

 

庵野監督はシンジの心の成長という形で
人の幸せを描こうとした。

 

エヴァ アニメ26話で

自分の現実は
自分の狭量な世界観で作られ
誰かに教えてもらえば
それを真実と飲み込む。
受け取り方でまるで別物になる脆弱なもの。

とし

だからこそ
見る角度、置き換える場所が
少し違うだけで心の中は大きく変わる。
どんな自分にもなれると言っていた。

 

僕はこの言葉にたくさん救われたし
アドラーも同様の事を言っているし
考え方に不足はないと思っていた。

 

でも、この時
庵野監督は何か違うって思っていたのかもしれない。

 

旧劇場版の最後のアスカの
『気持ち悪い』

って言う一言は、
答えを導けた、
表現できたつもりなのに、
何かがちがう
でも何が違うのか分からない
そんな気持ちの表れだったのかな

今回映画見て感じた。

 

これまでのエヴァとの大きな違いは
今回の映画は
人それぞれの思いと、
願い、幸せが語られていたところ。

つまり
自分の幸せの受け止め方だけでなく
他の人の幸せを受け止め、
認めている点が大きく違った。

 

これは
自分が
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜
を読んだ時の物足りなさを補完してくれた。

 

銀河鉄道の夜
他人の幸せを願い、叶える事が
自分の幸せにつながる

というメッセージが強く

私には理解がむずかしかった。

なぜなら

自分が幸せになるには
自分の望みを叶える事が1番大切だと思っていたからだ。

 

自分を犠牲にしてまで
他の人の幸せに尽くすのは
ただの偽善だと思った。

銀河鉄道の夜の作中に
本当の幸せが何か分からない
というセリフがある。

 

宮澤賢治にも
本当の幸せの姿が分からなかったのではないかと思う。

 

ただ、
自分の幸せには相手の幸せが必要
という事は感じていたのかもしれない。

 

今回、シン・エヴァンゲリオンを見て
人の幸せと自分の幸せの間の関係性がなんとなくわかった気がする。

 

それは

 

人の幸せは
他者がいて成り立つという事。

 

しかしながら自分の幸せは
相手の幸せに直結していないという事。

 

自分の幸せを実現するには、
相手の幸せを受け入れ
応援しないと実現しないという事。

 

と感じた。

 

一方、これは、自分1人では心を補完できない事を
示しているに他ならない。

 

でも、心と体を溶け合わせなくても
補完ができる事を示している。

 

体で心を溶け合わせる
一時的な補完以外の方法がある事を示している。

 

相手の幸せと自分の幸せが違う事は
乗り越え難い事だ。

 

でも、相手を受け入れ、互いに応援し、協力して生き抜いたその先には自分と、相手の幸せを折り合わせた2人の幸せが見えるかもしれない。

 

人生に
そんな希望がある事を
僕は映画を見て感じた。